海洋研究部の歴史
オジサンはやっぱりエライのだ!
(クラブ創立30周年記念誌より抜粋)
記:12代 金沢邦光
▲経営セミナー講演中の金沢氏(写真クリックで拡大)
いやあ、驚き、驚き。
今の現役諸君の中には、小生が海研に入部したときにはこの世にまだ存在しない者もいるということになる。そうなのだ。オジサンはこ〜んなに長いことダイビングをやっているのである。エライ!
現役はもう少し尊敬の念を持って、接することを望みたい。
今度、大瀬の海で会った時には、タンクを運んだり、背負わせてくれたり、海の中で手を引っ張ってくれるとか(特に女子部員がよい)・・・・。とにかく中年ダイバーは非常にお疲れなのである。
つまらん事を書いて行数を稼いだが、現役時代のことについて少し述べたい。
その頃ダイビングはまだまだマイナーなスポーツで、マリンスポーツと言えば、なんてったってサーフィンでした。
ダイバーの慎ましさ(みすぼらしさ)と違い、サーファーは派手でそのファッションさえも確立されていて、かっこいいのである。当時のウエットスーツ思い出しても、サーフィンがすでにカラースーツだったのに対し、ダイビングは真っ黒けのけ。
もちろん両面スキンの素材。おまけにフィンもマスクも黒が主流で、手にはめているのは軍手。これじゃ女の子にもてるわけがない。
小生も早めにサーフィンに転向していたら、今だ独身などどいうことはなかったに違いないとただ悔やむばかりです。(※現在はめでたくご結婚)
■スーツの話題が出たので他の機材の話。
レギュレターはホースがたった1本というのがあった。そう、ただ息を吸うのみの機能しかない。最近ではほとんどが4本あるはずである。オクトパス、残圧ゲージ、BCにつなげる中圧ホースが加わる訳である。
これらは何故になかったのか?
もしもの時はバディブリージングするからオクトパスは要らない。
エアがなくなればリザーブ(注)を引けばいいから残圧ゲージは要らない。
BCなんかないから中圧ホースは要らない。なんてったってライフジャケットを着けて潜っていたんですからね。
という訳でホースは1本。ああ、なんてシンプルなことか・・・。
▲10代永野氏とニコノス(写真クリックで拡大)
ダイブコンピューターなんてかけらも存在していなかったし、カメラのストロボ(フラッシュ)も1回シャッターを切る度にバブル(豆電球のデカイようなもの)を取り替えて撮影していた。
タンクにしても、ステンレスではなく鉄だから錆びる。金がなくて買い替えられないので、錆を取るのでありますが、ヤスリでゴシゴシやっていると、たまにごそっとタンクの肉厚を剥がしてしまう時があった。
その頃、タンクのことをボンベと呼んでいたと思いますが、ボンベ→bomb→爆弾ということで、我々は爆弾の側面をヤスリで削り落していたということになる。「中大生タンク錆び落とし中に爆発」などという記事が新聞に載ってでもいたら、この記念誌の発行もなかったであろう。
まあ、浦島太郎よろしく、つまらん話をご披露してしまいましたが、当時のダイビング環境から見ると今はなんて充実しているのだろうと考えながら、つい昔をなつかしんでしまいました。
こういった状況下でダイビングをやってきたオジサンはやっぱりエライのだ!
(注)リザーブ
残りが30気圧になると一度渋くなり、これを引くことによって、あと30気圧分が吸えるのだが、これが結構いい加減で、引いた時点では本当にもう残圧がゼロに極めて近いということが何度かあった。